叱ることは難しい 〜第79回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、歯科医院を共に営む夫(真面目なのでここではマジオ君)とともに、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年から書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 必ず毎月、どちらかが書く。
2 内容は、歯科治療以外の事とする。

第79回 叱ることは難しい

次男は中学2年生。反抗期の真っ最中だ。3年生が目前なのに、ダラダラ過ごしているように見え、つい注意をしてしまう。それに対して、へりくつで応酬してくるものだから、どちらも感情的になり、しばらく気まずい思いで過ごすことになる。
「叱る」とはどういうことだろう?広辞苑で調べてみると、「目下のものに対して、声を荒立てて欠点をとがめる。とがめ戒める」とある。戒め、改めさせることが目的ということだろう。感情的に捲し立てるだけで、意図とするところが伝わらなければ、それはただ単に「怒る」という行為に過ぎない。子供に対し、職場でスタッフに対し、叱らなければならない場面は生じるが、叱ることは難しい。叱った方も、辛い思いを引きずることも多い。
 先日テレビを見ていて、「叱る」ことに良いヒントを得ることができた。それば、ラグビーで名選手、名指導者として名をはせた故平尾誠二氏と、ノーベル生理学医学賞受賞者の山中伸弥氏の友情を取り上げた番組であった。スタッフの指導法について悩む山中氏の問いに対し、平尾氏が答えた人を叱る際の4つの心得」を紹介していた。
① 行動は叱っても人格は責めない。
② 後で必ずフォローする。
③ 他人と比較しない。
④ 長時間叱らない。
どの項目ももっともなのだが、自分はどれだけできているだろう。人格を否定しているつもりは毛頭ないが、受取手にとっては、そう感じることもあるかもしれない。後でフォローは、100%はできていない。知らず知らずに、他人と比較してしまうこともありそうだ。叱る方も精神的にしんどいもの。まずは、長時間叱らないことだけは、必ず実践しようと心に刻んだ。 (文 まじお)

叱られることはやはり大切

第79回のつれづれ手帖は、子供や従業員に注意する際の「大人の悩み」をまじお先生が書いてくれました。

しかし、注意する側も、けして「人に注意するだけのことが自分だってできてはいない」ことに気づくのも実はしょっちゅうで、子供や従業員はそれをちゃんと見抜いているものです。結局人間、いくつになっても完全になることなどないし、むしろ自分ができないことをできるようになってほしい、なれなかったものになってほしい、という気持ちで、子供や従業員を「叱る」のかもしれないなと思います。しかしそれでは、注意された方はせいぜい「叱った方」に似た人間にしかなれないですよね。双方が、悩み傷つき、反省し、反抗し、そのあとにお互いを認めあってそれぞれの方向に成長できることが、親子や労使関係の「叱り叱られる」の本当の醍醐味なんだろうなと最近は思うようになりました。

大人になると、叱ってくれる人は少なくなりますが、たまに叱られると腹が立つのも困ったものです。しかしいい大人になれば、叱ってもらったことに感謝し、伸び放題だった自我を見つめ直す機会にしたほうがいいんですけどね。しかし、叱られることが本当に心地いい場面もあるんですよ。第71回のつれづれ手帖に、若かりし頃の小さな居酒屋でのこんな思い出場面を書いているので、ぜひご一読を。

 

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