クラリネットの音色に思う〜歯科医師夫婦のつれづれ手帖vol 55
歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、2010年から歯科医院を営む夫婦が、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年より院内新聞の一角に書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
ルール1 必ず毎月、どちらかが書く
ルール2 内容は、歯科治療以外のこととする(時々ルール違反あり)
第55回 クラリネットの音色に思う
音楽が人の心を癒し、または鼓舞するのは、誰もが認めるところだろう。
子供のころから野山を駆け回り、学生時代は「体育会系」だった私には、楽器が演奏できる人への強烈な憧れがある。
小学校の頃、運動会の行進に使う楽器を何にするかと話し合っていた時に、「金管楽器!」と勢いよく発言した際、担任に冷たく「できもしないくせに」と言い放たれたことは、今でも少し悲しい思い出として、チクリと刺さったままだ。
自分でやるなんて言ってない、ただ、かっこいい金管楽器の音が聞きたかっただけなのに。
あの時奮起して音楽を始めていたら、今頃もう少し豊かな人生を送れていたかな、なんて思う。
それから時代はめぐり、昨年、末の息子が小6になる直前、なんと学校の吹奏楽部に入りたいと言い出した!
吹奏楽部は4年生からの活動。実は4年生になるときも、吹奏楽部に入りたいと言った。
しかし、仕事が忙しかった私は、送り迎えや、土曜の負担など考えて、やらせてあげられなかった。
6年生に上がる直前に、「もう6年だけど、吹奏楽、やっていい?」と聞かれたときには、「え、まだやりたかったの?・・・それなら、もうやらせるしかないっしょ!!」という気持ち。
とはいえ、今から? 先輩の後輩(ややこしいな)に交じって? 馬鹿にされるんじゃないか、迷惑をかけるんじゃないか、心配がぐるぐると頭をめぐって、どうしたらいいものやら思い悩んだ。
しかし、それはすべて杞憂だった。
息子は仲間に歓迎して受け入れられ、4年生の時に憧れに憧れたクラリネットを、今は思い通りに吹いている。
練習はとても厳しく、休みもなくなった。
昼休みも業間休みも、音楽室で練習である。
でも、4年から始めたみんなの3分の1の時間を、親子で3倍濃密に楽しんで、仲間をつなぐ音楽の力を改めて実感させてもらった小学校最後の1年。
少しの勇気があれば、始めるのはいつでもできる。そして、やはり音楽っていい。50の手習い、私もいよいよ楽器を始めてみようかな、などと思っている。 文: 松浦 直美